故郷の山 子供のころ 遠足で登った懐かしい山 
今は麓に観光のホテルがあり 様変わりしているけれど
時節が変れば 矢張り 綺麗な早春の姿 
蕨 薇 採りに行ったことが想い出せれる
昭和20年の春三月

学徒動員 呉の海軍工廠での卒業式 
松原国民学校の辞令を貰い後に残る人に想いやる事などなく、帰郷 
今はトンネルで難なく越えられる 
むしぎ峠の七曲 近道を登り
 緑の木漏れ日を全身に受けて  
学童疎開で竹屋国民学校の師範学校をでられたとても綺麗な先生と紹介された 
未だに不思議な事の一つに 三人で赴任したのに
校長先生と父が相談して 小板分教場に行く事に為る 
でも何の不安もなく 白粉谷を超えて赴任複式の学級で 
高学年はもう御歳の女の先生
 低学年の始めての生徒 
戦争の最後の時代 荒れた畠の開墾で 授業どころではなく 
畠の雑草を最後に集めて焼く 
あの煙の香りは 子供たちと 大喜びで 今も懐かしい 想い出  
やがて 夏休み 
 あの 八月六日の朝 原爆の煙が登校する道すがら 山の向こうに 雲をみる
 その日から 終戦の日まで 疎開していた生徒の中に チフス の発生 
子供たちは先生必死の看護で元気になったけれど 
あの美しい若い先生は 力尽きてか 亡くなられて・・・・
ご家族のお気持ちは いかばかりかと
尊い犠牲の上に 今の平和が 
遠い過去の悲しい想い出も もう霞んでしまったみたい
春浅き  木洩れ陽のなか 夢をいだき 
峠の道に シャガの花咲く
それからの 毎日は終戦の日と共に何が何だか解らないまま過ぎて行く 
今は思い出しても不思議なくらい 
小さなオルガンに向かって懸命になれる一時が幸せだった




あれから 半世紀も経った今 時は容赦なく過ぎて 歳も八十歳 
体の元気なうちにと思っていたら 
その願いを 野路さんが芸北の友達に御願いして
 そのついでに浜ちゃんの見舞いもかねて 
故郷の我が家にも 
懐かしい あの山の香り
滴るような新緑の中 終に到着 
目の前に 本校も廃校になりその姿さえ変えているのに 
昔の儘の姿に 唯 涙で一杯
周りの風景は 僅かに 思い出せるくらい 
教員住宅は建て変っていたけれど 
その場所に 公私共に 若い あの頃が人事のように  
あぁ・・歳取ったなあと 感無量




この 若葉 の歌  は 私に取って 人生を決めた歌
学徒動員に行く前急いで 何もかも 詰め込まれた時
新庄国民学校に教生で 三年生を受け持ち 
教生最後の学習発表に音楽を持たされてやっとオルガンで覚えた 
楽譜の前で 先生方の見守られるなか  
この曲の中に一箇所 半音上がる所が有り 
其れの説明に 本当に大変だったけれど 
後の批評で何とか褒めてもらったこと  
あの時の興奮は今も残る

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